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法泉寺の縁起

 法泉寺は、大本山永平寺と大本山總持寺を両本山と仰ぎ、諏訪山吉祥寺を本寺とする曹洞宗のお寺です。
 今から約八百年前に奥州を支配した葛西三郎清重が、父母の追善供養のために建立し、壮麗な伽藍が整えられていました。当山過去帳には清重の子孫と目される灌頂法泉大禅定門が記載されています。
 戦国期に入り、激しい乱戦で法泉寺のある寺島村も兵火に荒れ果てました。しかし、今も残されている貞和三年(1347年)から永禄十一年(1568年)の間に建立された八基の板碑(注)により、法灯が営々と守られてきたことがわかります。
 天文元年(1532年)に吉祥寺二世大州安充大和尚が法泉寺の伽藍を再建しました。この地の領主遠山新三郎が亡妻の追福のために数十畝の地を寄進した記録があり、中興開基とされています。
 江戸期には幕府の外護により、慶安元年(1648年)に八石五斗の御朱印を賜りました。寛文二年(1662年)には石造地蔵菩薩立像が建立され、貞享三年(1686年)には千余名から寄進をうけて梵鐘(宇田川藤四郎作/喪失)を鋳造しています。さらに享保二年(1717年)には銅造地蔵菩薩立像(宇田川善兵衛作)が建立されるなど、檀信徒から篤い尊崇を集めて今日に至っています。
 現在も墓地には百余年から四百年の歳月を経て、なおやさしさを偲ばせる数百基の石仏が祀られ、粋でゆとりあふれる江戸の文化が、継承されています。

(注)板碑:中世仏教で使われた供養塔。法泉寺所蔵は、鐘楼堂と同期建造の地蔵堂内五十六基の古碑の一部と推定されている。
墨田区登録有形文化財(非公開)