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木造釈迦如来坐像
江戸時代(17世紀)墨田区登録有形文化財
像高37.1cm 腹前で禅定印を結ぶ。黄檗宗の拡大とともに日本に広がった中国明末から清初の彫刻の特徴と類似している。光背背面には再興主中山金左衛門の朱書がある。
木造迦葉尊者立像
江戸時代(17世紀)墨田区登録有形文化財
像高40.6cm 開口して歯を見せる。正面で手を組んで直立している。
木造阿難尊者立像
江戸時代(17世紀)墨田区登録有形文化財
像高46.7cm 直立し正面で合掌。法衣を着け袈裟を懸けている。
木造達磨大師坐像
江戸時代(17世紀)墨田区登録有形文化財
像高40.2cm 頭を覆って衲衣を着け正面を向いて座している。
眉の外側を弧状に垂らしている。
木造大権修理菩薩倚像
江戸時代(17世紀)墨田区登録有形文化財
像高47.3cm 先の開いた冠を被り左手を額の上にかざし正面を向いて倚坐する。
丸首筒袖の衣を着け腹帯を締めている。
紙本着色涅槃図
宝暦~明和年間(1751~1772年)(推定)墨田区有形文化財
縦310cm 横188cm 釈尊が沙羅双樹の木の下で入滅される様子を記した「涅槃経」に基づいて描かれた絵図。当山の涅槃図は、箱書から江戸中期に牛籠正覺山寶泉寺(現中野区上高井戸)から寄贈されたものと窺がわれる。
銅造地蔵菩薩立像
享保二年(1717年)墨田区登録有形文化財
像高160cm。背面に起年銘・願主・施主作者、衣全体に結衆者(屋号/職業)や戒名が陰刻されている。江戸期に寄進者を得て病気平癒の為に造立された。延命地蔵として建立されたと伝えられている。
奉造納 東海道武蔵国葛飾郡西葛西領寺島村佛頂山法泉禅寺
施 主 浅草御堂前俗名阿部主水
作 者 宇田川善兵衛藤原重勝(小伝馬町)
石造地蔵菩薩立像
寛文二年(1662年) 墨田区登録有形民俗文化財
背に普回向として法華経第七化城喩品の一節が彫られている。欠損の右手は錫杖を有したと推定される。奉納者には、導師3名、男性20名の他に当時として稀な女性名「玉」も刻まれている。
板碑
貞和三年~永禄十一年(1347~1568年) 墨田区登録有形文化財(非公開)
板碑は、鎌倉時代から戦国時代(12世紀から16世紀)に造られた供養塔である。
当山所蔵の八基の板碑は喪失した地蔵堂内五十六基の古碑の一部と推定される。
窪俊満「故郷の」の歌碑
文政四年(1821年)墨田区登録有形文化財
尚左堂俊満は宝暦七年(1757年)江戸の生まれ、北尾重政門下の浮世絵師である。戯作号は南陀伽紫蘭(なんだかしらん)・黄山堂(こうさんどう)、俳号は塩辛亡(しおからぼう)、狂歌号は一節千杖(ひとふしちつえ)、沈金彫り貝細工でも著名である。